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「食らい食らわれ、やり直し」

1つの解釈というか本歌の消失ネタがあるのならば写しの消失ネタも有りだよな、という考えでした。
どっちが上とか優れてるとかではなく、成り立ちの順序として本歌あっての写しである、というのは事実のはず。本歌なくば写しは生まれないので。
本歌と写しは別個の刀でありどちらもそれに相応しいそれぞれの評価、価値観はある上で、しかし生まれの順番は本歌が先で写しは後。
写しがあって本歌は本歌と呼ばれますが、本歌でなくても存在はできるので。
あとは、付喪神の名乗りというか、刀剣男士が刀の一面を強く反映させて(人の子が扱えるまでにスペックを落とす、あるいは理解、信仰できるわかりやすい形に落とし込んだ)と考えて、山姥切国広は最初の時点で「山姥切の写し」として顕現されたはずなので。
写しだと、さんざん言っているので。その上で、写しは偽物ではないと訴えて、俺は俺だと伝えてきたので。
「お前は山姥切の写しではなく、お前こそが山姥切」というのは、原点、最初の国広の主張であり「刀剣男士山姥切国広」の否定につながることも有り得るのではないかと、と思ったので国広君の消失ネタになりました。
史実、いや、資料に基づけば間違ってはないのかもしれない。国広こそが山姥切なのかもしれない。この世界に関して(創作と現実は別物として)だけど、付喪神として顕現した彼は恐らく多くの人が信じた「霊刀山姥切」の「写し」である「山姥切国広」であるので、そこを否定されると「刀剣男士」としての彼は消えるかもしれないな、と。
まぁでも刀剣男士が消えても多分本霊には関係ないですよ。一部分が一部の人たちに否定されただけで、それが彼の全てなわけではないので。
ただ国広の傑作が山姥切の写しである、という大元の彼の主張でありそういってきたことをまるっと善意で「お前こそが山姥切!それはお前だけのもの!」って言われたら「いや俺そんなこと一言も言ってないけど?!」ってなるよねー。彼は山姥切になりたかったわけじゃないですしね。その名は持っているけどそれになりたいかは別というか。
だから、審神者のその認識を変えていかないと、本歌じゃなくて写しの方が消えるかもしれない。この話の認識を正すとはそういうこと。
国広が頑張って主に「違うそうじゃない」って訴えてても、審神者が聞く耳持たずに認識を変えなかった場合こうなる可能性もあるかな、と。
逆に国広が審神者のその認識違いに気づけなかったら、そもそも主張もできないから余計加速するかもしれない。
本歌の方は「山姥切」って名乗って顕現してるから、確かに「山姥切」って認められなかったら辛いかもしれないですけど、消えるまではいかないかな、とか。
お前は山姥切ってないとか、この本丸では山姥切は国広の方、とか言われても「山姥切長義」なので長義の刀としてきちんと存在はあるというか、そこは揺るがされないというか、皮肉を言えば国広の本歌、という点でも存在できるし。そこは揺るぎないから。
ただ、国広の本歌、が主に立つと長義の写し、が薄れるから、「写しである山姥切国広」という存在は危ういかなぁ、とか。
つらつらそんなことを考えた「山姥切国広が消失するかもしれない」世界線のネタでした!




あとメタァなこと言えば、国広の山姥切の逸話って後付とか箔付けのためとか言われてる面もあるじゃないですか。一説ですけどね、これも。嘘の証拠もないし、事実という証拠もない。
五虎ちゃんみたいに「本当は切ってないけどそういう話をつけられた」って可能性もあるから、「切ったのかもしれないし、切ってないのかもしれない」もすごい信憑性あるよね。
だから国広の方が山姥切に相応しいとは言い切れないかもしれないし、長義の方が山姥切だとも言いにくいかもしれない。
そこを踏まえてどちらを山姥切と呼んだらいいかって言われると個人的には「山姥切」と主張する方が現時点ではより山姥切らしいかなぁ、とも思います。
その場合、切った切らないというよりも「山姥を切ったとしても不思議ではないほどの名刀」「山姥をも切れる刀」という自負が長義の方が強いのかな、と。かくあれ、と人の子が思い続けた結果でもあるので。
国広は「山姥切」に拘ってるようには見えないから、そういう考えが薄いのかなぁ、と。
「国広の傑作だからこその切れ味」「最高傑作という名刀」国広は切ったもののに対する主張ではなくて、堀川国広の傑作たる切れ味、素晴らしさを主張してるような、気がする。まぁだから「山姥を切っていても不思議ではない」という考えもあるかも。「国広の傑作なんだから山姥を切っても可笑しくはない」という主張はできるけど、そういう主張はしてないんだよなぁ。
まぁどちらも山姥切でいいと思うし、長義の写しが国広だし、国広の本歌は長義だし。
どっちが上、下、はないけれども、ただ前提と認識を間違えると消えちゃうのはどっちなのよ、って可能性の話。








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